5.暖かいごはんが食べたい


二日目(4月6日水曜日)
朝はご飯を三合炊き、インド食堂の松本さんはスパゲテイを作り、四人で分け合いました。昨日の昼はさっと食べれるようにとパンを持って行きましたが、パンは力が入りません、今日はご飯とみそ汁が昼食です。

山形から来ていたリーダーは一週間のボランティアを終え昨日帰って行った、またすぐに来ると言っていた。リーダーになると作業報告を提出しなければならない。今日は六人で出動、リーダーは生出さんになってもらう。

場所は大街道東一丁目、阿部さん宅、七十代の男性が一人で二階に住み、食事は避難場所で食べている。二年前奥さんに先立たれ、子供たちは海外にいる。
この家は湾から900mの所に有る、昨日の家よりは少しはましだ。この辺は約1m浸水している、一階にある六部屋は全く手つかず。町の世話役もしているから忙しいらしい。

全てを完璧には出来ないので、くつろげる場所を一つは作ろうと、台所をピカピカに仕上げた、結局六人で作業して一部屋残してしまった。あと一人いれば全部終わったのに。

いつも遊びに来る、近所の五歳と三歳の姉弟が遊びに来ていた、いつも何を食べているのと聞くとパンばかりだそうだ、ご飯が食べたいと言っていた。
阿部さんに今晩の配給を聞くと、パンとジュースとおにぎり一個、もう一カ月になるというのに暖かいものが十分に食べれてない。
ラジオで、避難している人の八割が低体温症になっていると言っていた、子供や老人には場合によっては死に至る恐れがある。避難生活での死者は300人に達しているとネットに書いてあった。

ラジオでは、体の中から温めなければならないとも言っていた。やはり炊き出しの支援はもっと必要だと思う。

阿部さんが避難所にお昼ご飯を取りに行った時、一人のおばさんが訪ねてきた、洗濯物を取りに来た、親戚の人かと思うと、ボランティアで洗濯をして回っていると言う。
つい最近まで近所に住んでいて、数ヶ月前に高台に引っ越した、ご主人は土木の仕事で出っぱなし、自分も何かしなければと毎日お年寄りの家を訪問して洗濯をしてあげている。
地元の人もみんなで助け合っている。

 

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