2.いざ石巻へ


平成23年3月11日14時46分秒、マグネチュード9.0という観測史上まれな大型地震が発生し東北地方の太平洋岸をことごとく飲み込んでいった。
死者不明者は三万人を超えるであろうが今だに実態が把握できていない。

その日は、一週間後にロータリー2700地区のガバナーと共にフィリピン支援の視察を控えていたため仕事に追われ、結局仕事をしながら朝までテレビを見ていた。

画面に有る全ての家が津波に押し流されていく映像はとても現実に思えなかった
確実にボランティアが必要な事は明らかだったがインターネットを見てもなかなか現地の情報が発信されない

フィリピンに行っている間もネットで検索した、各地でボランティアセンターが発足しているが、ほとんどが市内在住の人に限るとの条件が付いている。
後で聞いた話だが、東北の人たちは我慢強く遠くからボランティアに来てもらう事を申し訳なく思っている、お年寄りは方言の違う人たちとは打ち解けにくいなどなど。
逆に市内在住のボランティアでどうにか処理できる市町村と、そうでない市町村が有る、被害の大きい市町村は役場の人たちも多く被災しており情報の発信も出来てない。

3月26日になってやっと県外者でもOKのホームページを見つける事が出来た、宮城県石巻市(希望者)、亘理町(県外の方もOK) 、塩釜市(県外在住者もOK)、松島町(身分証を提示できる方のみ)、美里町(情報元に記載なし) 、多賀城市(市外・県外の方もOK)の六ヶ所のみ、岩手県・福島県のボランティアセンターで県外者を受け付けている所は一カ所も無い。

六か所とも、往復のガソリン、宿泊、食事すべてを自分で確保してくださいとのこと。泥で汚れても水の出ない所も有りますから作業後の対応もご自分でなどのコメント。

予備のガソリンタンクを探すがどこも売切れ、3月22日に山小屋ラーメンが4000食を石巻に持って行ったのでもしやと思い、緒方社長に連絡を取ると4缶50L分を借りる事が出来た、また東京在住の人から水を頼まれたが近所のスーパーにも2L以上の水が売ってない、これも緒方社長の御好意で20リットル4個を調達できた。

出来れば10日間は活動したかったので、10日分の食料・水・携帯トイレ・医薬品・スコップ・ヘルメット・テントなど、車の中は助手席も後部座席もトランクもいっぱい。

高速料金を節約するため4月2日の土曜日に出発の予定が、仕事がずれ込み3日午後6時に福岡県行橋市を出発、前日は2時間しか寝てない、どうにか東京まで2700円で行きついた。東京~石巻間は月曜日になってしまい7000円かかった、途中どうしようもなく、何度か合計5時間寝て、石巻ボランティアセンターのある専修大学に着いたのは午後5時すぎ、約23時間かかって到着。
約1,475kmを18時間で走破、石巻近くになると高速道路が所々波打ち、スピードを出し過ぎるとジャンプしそうだった。


 

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