4.七人の侍


千葉さん宅  

第一日目(4月5日火曜日)は山形からきた若者をリーダーに、東京から来た生出・五反田と、松本・田上・反町・真鍋の七人の侍で出動することになった。

場所は大街道南三丁目、千葉さん宅(老夫妻)。湾から600mしか離れていない。
グーグルアースで見ると3月30日に撮影された衛星写真が見られる。
千葉さん宅の玄関から左に100mの交差点はまだふさがっているが、その日は自衛隊が重機を使いガレキを撤去していた。夕方には車が通れるようになっていた。

千葉さんは近くの親戚の家に世話になり、毎日家の片付けに来ていた、自衛隊が道を作ってくれるのを待ち、玄関の前の泥を撤去し、庭になだれ込んだパレットを運び出し、畳を運び出した所で力尽きた、そこまでに三週間かかっている。

居間の家財道具と、台所の片付け、泥のかき出しが作業の依頼です。

台所がとんでも無い事になっている、大きな冷蔵庫や食器棚などが絡み合って入り口をふさいでいる、七人で力を合わせてどうにか外に運び出した、その合間に泥やゴミを一輪車で何度も運び出す、二時間もすると右腕が筋肉痛でキリキリしてくるが、気持ちが勝っているのでその時は余り感じない。

昼までには、居間と台所がどうにか片付いた、お昼を食べた後は、庭の泥のかき出し、終わるころになると、隣の人から冷蔵庫と畳を出してほしいと声をかけられた。
畳が水を吸い込んで半端なく重たい、大型冷蔵庫より重たい、四人がかりでやっと運べる。

作業時間は約6時間、ひと段落すると、全身が筋肉痛になっているのにやっと気が付く。

百回ありがとうを言われても、自分がここに住むかを問われると、とても無理だ、それを思うと、もっとどうにかしてあげたいと思うが、多くの人が自分たちを待っている。
とりあえず、ここまでだから、後は頑張ってくださいねと心で思いながら。

船が道路に

千葉さん宅は約1.8m水没していた、津波警報が出てすぐに車で高台にある小学校に避難した。近所の人で一旦避難したのに、大事なものを取りに引き返し、何人も犠牲になっていると聞いた。

隣の家は、遠くの親戚に避難し、もう戻ってこないと言っていた、家は売るそうだ。
裏庭には、パレットやでかい紙の固まり、二メートルはあるタイヤなどが泥に埋まっている、その奥には車が立っている、どこから入って来たのか首をかしげたくなる。



仮設風呂



港のそば、大きな漁船が道をふさいでいる所を右に曲がり左側、正面川向こうには石ノ森萬画館が見える
この風呂は海水だそうだ、ボランティアは住民が入った後に入浴できる。
一週間、風呂には入れないだろうと決めてきたものの、汗と泥にまみれた体には
お風呂は最高のご褒美だ、地元の人に聞くと25km走れば温泉センターが有るらしい。
そこまで反町さんと二人で行くことにした。田上・松本さんは仙台の友人の家へ行った。

涌谷町に有る「わくや天平の湯」
午後4時から8時までの短縮営業、普通は800円だが、今は300円、近所の人とボランティアなどでごった返している、湯船は垢がいっぱい浮いている、洗い場には常に20人は行列し10分はまたなければならない。
それでも天国だ、風呂上がりの生ビールとカツ丼が最高においしかった。

石巻で避難している人たちは、車が流されて無いし、有ってもガソリンが手に入らず、ここまでこれない。
高速道路のスタンドがやっと十分に入れられるようになったが、石巻市内ではスタンドは一軒しか営業してない、二時間待っても満タンには入れてくれない。

その日は十時には爆睡でした。

 

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